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90年代末に書いたプロフィール
酒井泰斗 音響意匠家
横浜市うまれ。出生地に関する記憶はない。
幼稚園のときには野球の選手になるつもりだったらしい。
小学校時代の「将来の夢」という文集には「ギターをもって世界各地をまわる」と書いてある。「音楽的」な家庭環境ではまったくなかったにもかかわらず――そのこと自体には感謝しているが―― どこで間違ったのか・なにを考えていたのか...... いまとなっては想像しがたくはある。 が、これまでの人生で「音楽が好きだった」とか「よく聴いていた」とかいったことがないところをみると、たぶん「音楽ならば、ひとと争わず・競わずにひっそりと生きていけるはず」という、切実な、しかし大きな勘違いによるものだった ──のだろう。「音楽の学校」に入るのにピアノが弾けねばならない、などとは誰も教えてくれなかった。
十代はじめ。
音楽を聴くよりは、宗教書を読みあさっている時間のほうが圧倒的に長かった。(当時はまだ、自分に宗教的資質が欠落していることを自覚していなかった)。
ドビュッシー/ラヴェル/ケージ経由で
バリガムラン
を発見。ガムランが 自分にとっての「パンク」であり「テクノ」であり「現代音楽」だった。小泉文夫がまだ生きていた。作曲科に入るにはピアノが弾けねばならないことを知って絶望する。ピアノはバイオリンの次に嫌いだった。
十代なかば。
岩波文庫の仏教教典とニーチェを支えになんとか生き延びる。(フロイトも読んだが理解できなかった。今でもだが。)
サックスを吹き始める。「高校卒業後は“バンドマン”になろう」と決めていたが、ある日ふと、音楽をしている自分がつねに苛立ちとともにあることに気づき、他の途を模索し始める。
しばらくの愚考の末、オルタナティヴとして「とりあえず」物理学を選ぶ。 好きでも得意でもなかったが、それが持つ〈普遍性〉と〈意味の欠如〉の甚だしさは、当時の知見の範囲内で、世の中のあらゆるものなかでもっとも「とりあえず」という言葉が ふさわしい専攻分野に見えた。 ‥‥少なくとも、大森荘蔵の著作はそのような印象を与えた。
二十代。
関西の某公立研究教育機関に在籍。物理学を専攻しつつ、科学界の参与観察に従事。──といいつつ、しばらくは本気で「学者」になるのだと思っていた。
その間、
ジャワガムラン
のアンサンブルグループ
“ダルマ・ブダヤ”
に在籍するとともに、地唄三味線を津塚美葉氏に師事。そこでの最大の収穫は、自分にも「歌がうたえる」のに気づいたこと。ただそれらは、「音楽をしないため」の代替物という過剰な自意識とともにやっていた。
あとはヘーゲル、マルクス、ハイデガーを、そして図書館の哲学書を端から並んでいる順に──「ぷらとん」→「ありすとてれす」→「あうぐすてぃぬす」→‥‥ ── 一日じゅう読む。読む。読む...。
ニクラス・ルーマン、『宗教の機能』『法社会学』を発見する。
93年春、近所の いきつけの粗大ゴミ置き場でエレクトリックベースを採取。弾き始める。
95年1月、阪神大震災。入院先を中途退院。
96年4月、なんのあてもなく、新しく買ったローンの終わっていないベースだけをもって上京。
まだ生きています。(以下略)