1.正義のアポリア 2.閉鎖性の脱構築? 3.不在の戦略か戦略の不在か 4.神の雑種 |
5.二つの脱構築 6.観察の/という脱構築 7.結語:歩かねばならない、一襞一襞 |
◇.注 ◇.文献 |
本稿の直接の狙いは、デリダとルーマン(脱構築とオートポイエティック・システム理論)による正義概念の扱いを、比較検討することにある。しかし同時にその作業を通して、社会学理論一般の方向性に関する結論をも引き出してみたいとも考えている。その結論は、特に「批判的」であることを標榜する社会学理論にとって、重要な意味をもっているように思われる。あるいは、デリダとルーマンの議論がもつ、「批判理論」としてのポテンシャルを計測することが、本稿の目的である、と言ってもいいかもしれない。ただしもちろん、デリダとルーマンのどちらがより「批判的」であるか、というように問題を設定するつもりはない。むしろ、それぞれの議論の内部において、批判的スタンスを可能にし励ましてくれる要素とともに、批判的社会学理論を袋小路へと導く危険も併存しているのではとの推測を、出発点とすることにしたい。
とりあえず法と正義に関するデリダの議論から始めることにしよう。